『闇金ウシジマくん 16,17』 真鍋昌平
02 22, 2010 | 本
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前にも「闇金ウシジマくん」はオススメしたが、この16,17で描かれた「楽園くん」編は数あるエピソードの中でも1,2位を争うぐらいの傑作だろう。
主人公は高校を卒業して以来、友人とルームシェアをしながらラブホテルの清掃のバイトで生計を立てている。そして彼はただのフリーターではなく、ファッションに異常なまでに気を使う人間だ。
彼は素人のスナップを掲載する雑誌に載り、表参道、渋谷といったファッションの中心地で「オサレ皇帝」になるために高い服を買い、センスを磨き、街をうろつく。
何者でもない、何も持っていない彼の唯一の存在証明の手段としてのファッション。彼はそこに自分の全てを注ぎ込んでしまう・・・。
話のディティールを描いてしまうと本書の面白さが半減してしまうと思うので、これ以上は書かないが、主人公が持っているこのファッションに対する意識というものは多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思う。
ここで少し自分の昔話をしよう。
僕が所謂「お洒落」に目覚めたのは、中学校3年生ぐらいだ。中学2年生ぐらいは完全に肥満児でファッションなんかにはほとんど興味がなかった。興味を持ったとしても自分に着れる服なんてないからだ。
しかし、図らずしてダイエットに成功する。学校の中間試験、期末試験のたびに一夜漬けのテスト勉強をするために徹夜をし、朝飯も昼飯も食べないでテストを受け、そして夕方頃に家に帰ってひたすら眠る。そして起きたら遅めの夕食をとる。そして次の日のテスト勉強のためにまた徹夜をする。
それを繰り返すと大体5日間ぐらい1日1食で過ごすことになるのだが、これが効果てき面だった。体重が面白いぐらいに減っていき、気が付けば体重は標準付近にまでになった(ここで「標準」にならないのがこのダイエットの限界)。
気が付けば、Mサイズの服がちゃんと着れる様になり、お洒落ができる幅が大きく広がった。この頃が、大体中学3年生ぐらい。ただ、僕も何者でもなかった。痩せただけで顔がかっこいい訳ではなく、何か部活にのめり込んでいる訳でもなく、楽器が弾けるわけでもなく、別段成績がいい訳でもなかった。いろんな意味で真ん中ぐらいのつまらない奴だ。
当時は別段意識していたわけではないのだが、そういったつまらない、他人と差別化できない自分に嫌気が指したのか、自分の他人にない趣味らしきものを見つけ出す。ただ、ここが非常に安易で下らない。
スポーツにしろ、楽器にしろ、勉強にしろ、こういったものは他人と差別化する上でそれなりに手間と時間がかかる。一方で、そこそこのコストを払えば差別化できるものもある。つまり、音楽とファッション。
音楽については、まあ、恥ずかしながら「Rockin'on」とやらに手を出し、クラスのだーれも聴いてない、というか興味なさそうな洋楽やらテクノやらオルタナティブな音楽を好んで聴くようになった。
と言っても、この時期は完全に人と差別化するために音楽を聴いていたわけではなく、自然とその音楽が好きになって言ったのも事実だ。僕が中学3年生というと1997年ですよ。この時期は凄くて・・・と語ると更に長くなりそうだし、年寄りの愚痴になりそうなので止めておく。まあ、日本のポップミュージックがとても楽しい時期だったんですよ。
一方でファッションについては、最初は近所のデパートの2階あたりにあるRight-on辺りに行って(最近は完全にお兄系ですな)手ごろな値段のジャケットなんかを買っていた。ファッション雑誌を読むようになり、もっとお洒落でもっと変わった服が欲しくなる。近所じゃ駄目だ、千葉じゃ駄目だ。都内に出なければならない。
最初に行ったのは新宿の丸井。丸井といっても1,2階と8,9階では全く扱っているブランドが異なり、上のほうは中高生じゃ手が出せない。自分は比較的安価な1,2階に行く。ブランドとしては「PPFM」とか「トルネード・マート」とかを買ったと思う。
更に雑誌を読む。丸井じゃ駄目と思い始める。雑誌に丸井の服なんて大して載ってない。更に高みを目指さなければ。
当時流行していたのはセレクトショップ。具体名では「BEAMS」「SHIPS」「UnitedArrows」「EDIFICE」あたり。特に「SHIPS」は値段も手ごろだし、大人しく綺麗な格好が出来るので一番好きだった。
そして更に高みを目指し始める。今振り返ってみると、平日は制服で、休日は勉強か音楽聞いてるだけなのに、なんてコストパフォーマンスの悪いことをしているのだろうと思う。誰が見るわけでもないのに。
もともとファッションに興味がある背の高いN君と、ファッションに興味を持ち始めたS君と一緒に、「裏原宿」と「代官山」やらに行って見ないかという話が出始めた。
「裏原宿」。原宿ですら行くとドキドキし始めて、変な汗が出てきて、後頭部の辺りが熱くなって来るのに、その裏である。バラモスすら倒せないのにいきなりゾーマに突っ込んでいくようなもんである。そこのボスの名前が「ニゴ」というのも恐怖を煽られた。
「代官山」。最早想像すらつかない魔境である。そもそも僕らのようなヘンチクリンな学生がウロウロしていい場所なのか?「代官山」に行くために、「新宿」でアイテムを揃えてから行かないか、というような提案も出るほどだった。
しかし僕らは特攻した。
最初は原宿辺りの「BEAMS」辺りで準備運動をし、ウォーミングアップ。いきなり「裏原宿」に入ると瘴気で死ぬから、ここら辺の準備は怠れない。
そして裏原宿。一見安っぽい住宅街なのだが、そのほとんどがドメスティックなハイブランドのショップである。ダサい僕らを街全体が拒否しているようなイメージ。店に入るのにも、パーティで相談が始まる。何時になったら洋服見れるんだ。結局、2,3件ぐらいしか入れず、服を買う勇気も金もなかった。
次は歩いて代官山に行く。
迷宮のように入り組んでいて、お洒落なカフェが点在している。しかも見る女性の全てが美しくてお洒落だった。結局ショップを良く調べて行かなかったので、偶然見つけた「APC(アー・ペー・セーと読むんだそうで)」というショップに入る。黒を基調としたシックなデザインがカッコいい。自分好みだ、買っていこうか。おもむろにその店で一番安そうなニットの値札を裏返す。4万円。
結局、何の戦果もないまま、恵比寿まで歩く。他の二人は満足そうだが、僕の中では何かが終わった。
もういいや、ここら辺で。これ以上この螺旋階段を登れない。そう思った高校1年生の冬。
ここから先は大学を卒業するまで大した変化はない。
本屋で適当に雑誌を見て、いい加減に流行をチェックしては、自分の予算の範囲内で気に入りそうなものを選び出す。ブランドにも大して拘らなくなった。丸井にも行くし、セレクトショップにも行くし、無印にも行くし、ユニクロにも行く。まあ、適度な範囲でお洒落をするようになった。ここでもまた自分はつまらない範囲の人間になった。
高校2年生にもなると、受験勉強に本腰を入れる人間が徐々に出てきて、ファッションのことにまで気が回らなくなったのも原因だ。
僕はこんな感じだ。
他の人はどうだろう。多分同じような道を辿っているはずだ。多かれ少なかれ、ファッションに興味がある人間はこのスパイラルに巻き込まれる。そして階段の途中で、疲れ果てるか、金が尽きるか、はたまた違った存在証明を探し始めるかで登るのを止めるんだ。
しかしこの漫画の主人公はそうではない。登るのを止めない。自分が破滅するまで登り続ける。そして結局自分には何も蓄積されていないことに気がつく。
でも、主人公のことを僕は笑うことができない。彼が辿った道の途中まで、僕は歩いたことがあるからだ。
彼に比べれば本当に些細で大したことないんだが、それでも彼が突き進んでしまう気持ちは理解できる。
そして、それは万人が多かれ少なかれ持っているものだろう。だからこの作品には十分にポピュラリティがある。誰もが持っていて、誰もが目を背けて見たくなかった、2ちゃんねるのファ板あたりでひっそりと燻っていたものが、ちゃんとした作品としてえぐり出された。
そして、こうした人たちがいる一方で、着飾ること、消費すること自体を嫌悪する若年層が出てきているのも面白い。
現代の異常な人間を描く中で、人間の普遍的な部分を炙り出した傑作だと思う。
長い。長いぜ。
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ブランドの絶えざる差別化、メタ化という意味で、消費者だけでなく、供給者側もそれを利用しているという点でこの本も面白い。反グローバリゼーション辺りの運動は大して面白くないが。
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